IOC会長の手で封筒に入っていたカードがめくられて、「TOKYO2020」の文字。
「やった~!!!」と同時に、僕自身も、7年後に向けての新たな気持ちが湧いてきました。
障がい者スポーツ関係者にとっても、感無量だろうし、ましてや、選手たちは、東京に向けて頑張ろうと決意したと思います。
思えば、1998年長野が決定した時に、当時の日本で、どれだけの人たちが、「日本にパラリンピックがやってくる」と感激していただろうか?
当事者の厚生省の方たちでさえピンとこなかったのではないだろうか?
なぜなら、1995年、開催の3年前になって、ようやく選手発掘、強化に本格的に取り組みだしたと言っても過言でないからだ。
それに比べたら、想像ができないくらいの違いで、今回の東京決定は、パラリンピック選手たちの招致活動の活躍がすごかったと思う。
パラリンピックやデフリンピック、そして障がい者スポーツ全般が、この機会に発展することを願います。
ぜひとも、パラリンピック以外の障がい者スポーツも、東京以外の地域でも振興するように進めてほしいと思います。
ソチに向け、さらに頑張る決意が出てきました!