なにをしても三日坊主でしたが、まだ続いています。
初日の日記は、バンクーバーパラリンピック前の事前合宿シルバースターからの日記で、この2周年目は、トルコで迎えています。ちょうどINAS知的障がい者のスキー世界大会です。
INASの役員(ノルディックスキーのスポーツデレクター)は、2000年から始めていて、当時の知的障害者スポーツを所管していた「全日本手をつなぐ育成会」の推薦で、ノルディックスキー・デレクターに就任しました。
全日本スキー連盟の技術代表もしていたので、なんとか皆様のお力で続けることができました。
1998年長野で行われたパラリンピック、初めてIDクラスが正式種目として採用され、成功を収めましたが、次の2000年シドニーでのIDバスケットボール・金メダルのスペインチームがIDと偽って健常者が出場していた事件が発生しました。金メダルは剥奪され、INASのフェルナンド会長(スペイン)、フェリッペ事務局長(スペイン)がIPCから永久追放、ID種目の中止、資格停止処分を受けてしまいました。
シドニー前には、IPCからクラス分けを行うように要請されていたようです。しかし、当時のINAS執行委員会は制度化することができませんでした。
そのことが、結果的に「悲劇」を招いてしまったと思います。
長野から15年。ソチでは残念ながら復帰が見送られ、INASでは、2018年ピョンチャンパラリンピックを目指しています。
この情熱日記が、そこまで続き、ID復帰をなんとしても実現したいと思います。
各国チームで祝う表彰式