フィンランド大会では、バイアスロンの3レースに出場し、優勝1回、準優勝2回と世界のトップと争える力を付けてきたと言っていいだろう。特に、今まで出来島選手の前にいた太田選手に、30秒、50秒、1分30秒と大差をつけて勝利している。
もちろん、太田選手もリベンジしてくるだろう。
20歳の時、病気で右手の機能をなくし、1998年4月に「私にもクロスカントリースキーができますか?」と電話をかけてきた。
そして、5月、初めてクロスカントリースキーに挑戦した。ご覧のとおり、レンタルのツアースキーで始めた。
1998年5月初めてクロスカントリースキーをはいて滑る出来島桃子選手
お互い僕も、片腕になってスキーを滑らせる感覚を指導した。あれから、14年になる。
今シーズンの活躍は、出来島選手の本当に努力の結晶だ。
そんな出来島選手のお母さんからお手紙と新潟産の美味しいワインを戴いた。
手紙には、「お祝いをしていただき娘共々うれしくありがたく思います。・・・パラリンピックチームのスタッフや選手の皆様のサポートの賜物だと思っています。」と感謝の気持ちが綴られていた。
お礼をいうのは、こちらでもある。出来島選手が頑張っているからこそ選手たちも頑張れる。
戴いた美味しいワインは、次の合宿に持参して、みんなでご賞味させていただこうと思っている。
もし、お父さんが生きていたら、どんなに喜んだか、考えただけで、目頭が熱くなる。