エリック氏は、スペイン人で4年間IPCの現在の役職にいた。
今後、家族の住むスペインに戻り、国際トライアスロン連盟の仕事に就くという。
エリック氏が担当していた2006トリノ以降、冬季パラリンピックも大きく変わった。
スキー競技は、トリノパラリンピック以前、障がいの程度によってクラス分けされ、そのカテゴリーごとにレースが行われていた。例えば、上肢の障がい、下肢の障がいの細分化されたクラスでメダルを争う。LW2からLW9までの最高8クラス。シットスキー(座位)もそうで、LW10 、LW11 、LW12の3クラスのカテゴリーで。ブラインドもB1、B2、B3の3クラス。
ようするに1つのレースで沢山の金メダリスト・・・(極端に、もし最大なら、15人に・・男女にすると30人。)
ヨーロッパの中心選手たちから、「メダルの価値を高めたい。1クラス数人で競っても面白くない。」などの意見からクラス統合が進んだ。
ワールドカップが開催されるたびに選手会が行われた。クラス統合のワーキンググループのメンバーだった僕も、委員長のノルウェーの自宅に集まって、何回も作業を行った。
その結果、スタンディング(立位)で1つ、シットスキー(座位)で1つ、ブラインド(視覚)で1つと、3つの金メダルを争うようになった。
障害の違いを%で表し、ハンデ戦にした。ここまで整備、制度を確立したのもエリック氏を中心としたIPCノルディックスキースポーツ委員会のリーダーシップが大きい。
夏の競技でクラス統合が進んでいないところをみると、厳しい道のりだったのだろう。
だから現在、この制度はスキー競技が先行していて、障がいのクラス統合が、冬季競技における大きな特徴になっている。
この制度は、エリートスポーツ化を進め「金メダルの価値」を高めることに成功した。選手にはスポンサーもつき始め、国によっては、五輪選手と同じ報奨金も出るようになった。
しかし、その一方で、「勝てなくなった」障害の重い選手たちがいなくなってしまったのも現実だ。シットでいえばLW10、11 の選手、ブラインドではB1選手だ。
エリック氏は、冬のスポーツのクロスカントリースキーやバイアスロンの経験もないなかで、とても大変だったに違いない。
いつも気さくに声をかけてくれて、カメラの好きなエリック氏だった。
彼がくれた写真を紹介する。新田選手がゴールした時の、日本チームの竹原コーチ・白戸トレーナーの喜びの写真。
彼のカメラ、目線は、選手だけでなく、それを支えるスタッフにも向けられていた。
「ありがとう、エリック!」
エリックが撮影した写真 新田スプリントゴールの瞬間
新田選手を祝福するエリックIPC冬季スポーツ委員長