私たちへのお礼の手紙だった。
荒井会長には、いつも大変お世話になっている。
早朝から準備され、冬も夏も、病気で大変なのに練習に付き合っていただいている。
なぜかと言うと、法律で射撃場に管理人がいないと使用できないためだ。
射場までの交通費も会長が負担されているし、使用料も免除していただいて甘えてばかりだった。
僕は、薄謝で申し訳なかったが、阿部コーチにお願いをした。
合宿最終日にガソリン代としてお渡ししたところ、頑として受け取らなかったそうだ。
15分以上も押し問答をしていると、太田渉子が泣き出したそうだ。
荒井会長の手紙には、「・・・・(謝礼をいただくことは)私には身に覚えがないので、一生懸命お断り致しました所、隣に立っておられた太田選手の目に大粒の涙が見えたので、急いで止め、本日(9月12日)市スポーツ課の岩本様に経過とご相談したところです・・・」と、なんとか受け取っていただいた。
太田渉子が言う。「荒井会長のお人柄に、思わず泣いてしまいました・・」
僕たちのバイアスロン合宿。本当に多くの方に支えられているのだ。
振り返ってみると、国内には、車いす選手らがクロスカントリー(シット)スキーと射撃のできる練習施設がなかった。
海外まで行くか、ワールドカップ大会直前に射撃練習をしていた・・・。
そんな驚くような極めて不利なトレーニング環境だった。
「海外にいかなくても、国内でできないか」
スキー部関係者、僕たちパラリンピックチームの念願だった。
それを実現してくれたのが、網走市だ。
網走射撃協会や網走市が立ち上がってくれた。
荒井会長が自ら指導員を引き受けてくれ、早朝から準備してくれた。
市スポーツ課の職員もスキーコースを整備してくれた。
車いす対応の射座は、廃棄になった学校の卓球台を改良して射座を作ってくれた。
社会福祉協議会やボランティアセンターも応援に駆けつけて、声を出して、選手たちの集中力アップやメンタルトレーニングをしてくれた。
そんな二重も三重もの市民ぐるみの応援に、僕たちは感謝し、必ず成果を挙げたかった。
荒井会長や網走市の真摯な取り組みと太田渉子の大粒の涙。
この想いをもって、必ずワールドカップで金メダルを獲得し、荒井会長に報告したいと決意した。
荒井会長から届いたお手紙